東京高等裁判所 昭和26年(ネ)2357号 判決
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、控訴代理人において、本件約束手形は次の既存手形に代えて発行した書換手形であるから、既存手形について有した対抗事由は本件書換手形についても主張し得ることは当然である、右既存手形は次の事情で被控訴人の手に渡つたものであつて、控訴人が振出したものではない、すなわち控訴会社の代表取締役田中敏郎は昭和二十四年五月頃関西方面に出張し、訴外日本産紙株式会社大阪出張所に立寄つた際、手形用紙三通在中の紙袋を右出張所に預け(手形用紙そのものを預けたものではない)所用のため外出し、用済みの後は右手形用紙入の紙袋を持帰る予定であつたが、汽車時間の都合上右出張所に戻らず帰京したため、右手形用紙は右出張所に預けたままとなつた、右田中は旅行に社印を携行することは会社が困ることがあるので、必要に応じていつでも手形を振出すことができるようにと、手形用紙を携帯して出張したのであつて、右手形用紙には支払場所のらんに取引銀行である株式会社千代田銀行小川町通支店と書き、振出人の記名捺印をし、会社印を押捺し他は記載をしないものであつた、田中は帰京後日本産紙株式会社に対し、しばしば右手形用紙の返還を求めたがなかなか返還がなかつたので調査したところ、金に困つた日本産紙株式会社は右紙袋の中から右三通の手形用紙を抜き出し、これに金額(一通は百八十五万円、一通は百二十万円、一通は百万円)その他の事項を勝手に書き込み銀行で割引を受けていることが明らかとなつた、そのうち右金百八十五万円の分については日本産紙株式会社は右手形用紙の振出日らんに昭和二十四年八月三十一日、金額らんに金百八十五万円、満期らんに同年十一月十八日受取人らんに日本産紙株式会社と書き込み被控訴銀行で割引を受けたものである、すなわち右手形用紙はたんに控訴人の振出人としての記名捺印と支払場所らんの記載があるのみで基本手形としての要件を欠き、しかも控訴人の振出したものすなわち流通に置いたものではない、日本産紙会社はこの控訴人の記名捺印を冒用して勝手に前記事項を記入して、あたかも控訴人が右手形を振出したかのような外観を作り出して右約束手形一通を偽造したものである、この事情は控訴人において、右日本産紙株式会社代表者とともに被控訴人に交渉した際、これを告げているから被控訴人もこれを知つているのである、本件約束手形の書換手形であるが、その書換にいたる事情は従来主張のとおりであり、控訴人はこれによつてなんらの手形上の債務を負担するものではない、仮りになんらかの理由により右既存手形について控訴人に手形上の責任があつたとしても、本件手形振出にあたつては前記の事情にもとずき、控訴人と被控訴人との間に控訴人には手形金の請求をしない旨の特約がなされたものであるから、控訴人は本件手形金の支払義務はないものであると述べ、被控訴代理人において本件約束手形の基本となつた既存手形は控訴人の真正に振出したものである、仮りに右既存手形は、控訴人の振出人としての記名捺印と振出地・支払地・支払場所の記載ある手形用紙に日本産紙株式会社が勝手に他の要件を記載したものとして、被控訴人は右の事実を知らずに取得したものであり、また控訴人と右会社間には取引関係があり、かつその取引は手形でしていたものであるから、右既存手形は控訴人が未完成の白地手形として流通においたもの、で控訴人にその支払義務がある、仮りに控訴人が未完成の白地手形として流通においたものでないとしても、控訴人は必要の際はいつも完成手形として振出し得るように振出人名義の記名押印をし振出地、支払地、支払場所を記載したものを他人である日本産紙株式会社に置いたものであるから、万一同会社が他の必要な事項を記入して控訴人振出の手形を作つて他に交付すれば、善意の譲受人は手形の性質上これを控訴人の振出手形と信じ、その結果控訴人において支払の責任を負わねばならない危険のあることは十分予知しておつたはずである、控訴人は右既存手形を偽造であると主張するけれども、いわゆる偽造とは他人が振出名義を偽り作成した場合をいうのに、日本産紙株式会社は控訴人の振出名義を偽り作成したものでないから、偽造手形でないことは明らかであり、また窃取されたもので紛失したものでもない、そうすれば外観を信頼して流通し、取引の安全を企図する手形の性質からして善意の譲受人である控訴人は当然その手形上の権利を有効に取得すべきもので、控訴人としては当然予知すべき危険が発生したというに過ぎず、その支払義務のあることは明らかであり、この手形の支払を延期するための本件手形について控訴人に支払義務あることも明らかである、控訴人と被控訴人との間に本件手形について控訴人に請求しないとの特約があることは否認する、既存手形の支払延期のため書換手形を差入れる際、被控訴人は日本産紙株式会社振出の手形では信用上だめであるとして控訴人振出の手形を要求し、本件手形を右会社を通じて取得したものである、控訴人は本件手形振出後その支払義務を認め一度は月賦弁済の約束が成立したことがある、もし控訴人に請求しない特約があるならばこれらの事実はあり得ないはずである、本件手形の支払場所を控訴人の取引銀行としなかつたのは、なるべく日本産紙株式会社に支払わせるという趣旨と取立の便宜のために過ぎず、控訴人主張の特約の結果ではないのであると述べた外、原判決の事実のらんに記載されたところと同一であるから、ここにこれを引用する。
三、理 由
控訴人が昭和二十四年十一月十二日訴外日本産紙会社を受取人として金額百八十五万円、満期昭和二十五年一月十日振出地東京都千代田区、支払地高知市、支払場所株式会社四国銀行旭支店という約束手形一通を振出したことは当事者間に争なく、成立に争いのない甲第一号証の記載によれば、右日本産紙株式会社は即日これを被控訴人に裏書により譲渡し、被控訴人は満期に支払場所に呈示して支払を求めたがその支払が受けられなかつたことが明らかである。
控訴人は本件約束手形は右日本産紙株式会社において偽造した控訴人振出名義の約束手形(既存手形)の書換手形であり、被控訴人はその事情を知つて本件手形を取得したものであるから控訴人に支払義務はないと主張する。
原審における控訴人代表者田中敏郎尋問の結果により真正に成立したものと認める乙第一ないし第八号証、成立に争のない乙第九号証の各記載、原審における証人石元徳五郎、同浦上巍、同戸梶利顕(第一、二回)の各証言、右控訴人代表者田中敏郎尋問の結果に、本件口頭弁論の全趣旨をあわせ、控訴人がいわゆる既存手形であると主張する甲第二号証を対照して考えると、被控訴人が本件手形を取得するにいたる事情は次のとおりであることを認めることができる。
すなわち、控訴人の代表取締役田中敏郎は昭和二十四年五月頃商用で関西に出張し、かねて取引関係のあつた日本産紙株式会社大阪出張所に立寄つた際、宴会に出席するために、手形用紙三通ほどを入れた紙袋を右出張所に預けて外出し、宴会終了後右手形用紙を持ち帰る予定であつたが、急用ができて右出張所に戻らず帰京したために、右手形用紙は同所に預けたままとなつた。田中は必要に応じていつでも手形を振出すことができるようにと、手形用紙を携帯して出張したものであるが、右出張所に預けた手形用紙は振出地支払地のらんに東京都千代田区、支払場所のらんに控訴人の取引銀行である株式会社千代田銀行小川町通支店と記入し、振出人の署名捺印をし、金額、振出日、満期、受取人の各らんは白紙のままのものであつた。田中は帰京後日本産紙株式会社に対し右手形用紙の返還を求めたが、なかなか返還がなかつたので調査したところ、日本産紙株式会社が金に困つたあげく、勝手に右手形用紙に金額(一通は金百八十五万円、一通は金百二十万円、一通は金百万円)その他の事項を書き込み、銀行で割引を受けていることがわかつた。そのうち金百八十五万円の分については、日本産紙株式会社は振出日を昭和二十四年八月三十一日、金額を百八十五万円、満期を同年十一月八日、受取人を日本産紙株式会社と書き込み、右振出日と同日これを情を知らぬ被控訴人に割引のために裏書譲渡したものであつた。このことを知つた控訴人は日本産紙株式会社に対し善処方を要求したが、右会社が満期に手形金の支払をすることができそうもなかつたので、満期前である昭和二十四年十一月五日頃控訴人の取締役浦上巍は(代表取締役田中は当時病気静養中であつた)、日本産紙株式会社の取締役社長枝重清喜らとともに高知市の被控訴銀行旭支店に赴き、右手形のできたいきさつを話し、その返還を求めたところ、被控訴銀行支店長戸梶利顕は代りの手形を差入れなければ返還することはできないとて右手形の書換を要求し、かつ日本産紙株式会社の振出手形では信用上だめであると主張し、とかくするうち満期が迫つたのでその前日被控訴銀行は右浦上らに対し「とにかく手形を書換えてもらいたい、しかし支払はできるだけ日本産紙株式会社から受けるようにするから、支払場所も日本産紙株式会社の取引銀行である被控訴銀行の旭支店にしておくように」と要求したので、控訴人の代表取締役田中敏郎から一切をまかされていた右浦上は、ともかく右既存手形の支払を延期するため帰京後被控訴人のいうままに右手形を書換えて日本産紙株式会社に送り、同会社は裏書の上これを被控訴銀行に譲渡したもので、これが本件の約束手形であるという次第である。
原審における証人佐々木日出夫、右証人戸梶利顕(第一、二回)の各証言中右認定に反する部分は信用しない。
右の事実関係によれば、控訴人は本件手形の書換前のいわゆる既存手形を自ら振出したものでないことは明らかである。控訴人はたんに将来必要があつて振出すための用意として振出人らんに記名捺印し、支払場所等を記載した手形用紙を所持していたに過ぎないものであつて、、未完成の白地手形を振出したものではなく、また自ら流通においたものでもなく、いわんやこれを使用して控訴人名義の手形を作成する権限を右日本産紙株式会社に与えたものでもない。控訴人の全く知らない間に右会社が勝手に右手形用紙を利用し、控訴人名義を不正に使用して控訴人が手形を振出したような外観を作り出したものである。控訴人が右のような手形用紙を他人に預けるときはこのように利用される危険があることは当然予知すべきものであるとしても、そのためにこれを自ら流通においたものと同視すべき理由はない。およそ手形取引においてはその外観が尊重され、これを信頼したものが保護されることは当然のことながら、他人が権限なく勝手に振出人の名義を偽造した偽造手形にあつては、振出名義人が手形上の債務を負担することのないのも当然のことであつて、この場合にまで手形の外観を保護すべしとする原則は適用がないことは多言をまたないところである。一般に偽造手形にあつては偽造者が自ら権限なく、振出人名義の署名もしくは記名捺印をして手形を作成することが多いが、たまたま真正に成立した名義人の記名捺印を不正に使用して手形を作成する場合も、名義人の意思にもとずかないでその名義の手形が作成されるものであつて、その実質においてなんら異なるところはなく、これを手形偽造の一体様と解して差し支えはない。この意味において本件の既存手形は偽造手形である。従つて控訴人はこの既存手形については取得者である被控訴人の善意悪意を問わずなんら手形上の義務を負うものではない。
ところでこの既存手形の支払を延期するために、これを書換えたものが本件手形であることは前示のとおりである。既存手形につき控訴人において被控訴人に対し支払義務のない以上、その支払延期のために振出された本件手形についても、その事情を知つてこれを取得した被控訴人に対して、その支払義務のないことは明らかである。もつとも控訴人が本件手形振出によりあらためて独立の債務を負担したものとすれば問題はおのずから別であるが、これは本件において被控訴人の主張しないところであり、またこのような特段の事情は本件においてこれを認めるべきものはない。控訴人としては右既存手形について支払義務はないのであるから、これを書換えることはなんら必要のなかつたところであるが、その書換にいたる事情は前認定のとおりであり、また既存手形について所持人たる被控訴人との間に交渉がまとまらない間に満期が到来すれば、理由の有無にかかわらず不渡処分を受けるおそれがあること(前記証人浦上巍の証言によればそのおそれのあつたことをうかがい得る)を考えれば、控訴人が被控訴人の要求によつて、既存手形を本件手形に書換えたことは、当時としてはやむを得なかつたものというべきである。およそ経済上の利害に深い関心を有する株式会社である控訴人が既存手形について手形上の業務がないのにあえて独立の債務を負担する意味でこれを書換えるというようなことは異例に属するところであり、既存手形の支払の延期のためとか不渡処分を免めるためとかいう事情によつて、直ちに控訴人がこのような独立の債務を負担したものと見ることはできない。もつとも前記証人戸梶利顕の証言(第一、二回)及び控訴人代表者尋問の結果によれば、その後被控訴銀行旭支店長戸梶利顕は日本産紙株式会社に本件手形金の請求をしたが、その支払が受けられなかつたので昭和二十五年五、六月頃上京して控訴人にこれを請求したところ、控訴人の代表者田中敏郎は減額した上での分割弁済ならば支払に応じてもよいとの態度を一旦示したことが明らかであるが、さらに右各証拠によればその後右田中はこれをひるがえしたことをうかがい得るところであつて、右の事実があるからといつて控訴人が既存手形に関係なく独立に債務を負担する意思で本件手形を振出したものと推認すべきものではない。
しからば控訴人に対し、本件手形金の支払を求める被控訴人の本訴請求は理由のないものとしてこれを棄却すべく、これと異なる原判決は失当であるからこれを取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条、第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 原宸 仁井田秀穂 浅沼武)